日本人竹垣悟と北朝鮮・永本(孫)壹柱の貫禄
真ん中は俳優の白竜
あれは、いつの頃だったか・・・
戦後の日本の「原風景」と云うのは「朝鮮動乱」を経て「経済復興」の兆しが見えた時、人は「高度成長」への「階段」を上って行ったのだ。
「日本人」も「朝鮮人」も無く、そこには食べる為の共生と云う場所があった。
それがヤクザの社会であり、役者の世界であろうか・・・
もうひとつ付け加えるならば、角力(すもう)の世界から駆け上がった力道山が居ようか・・・
どちらにしても「人」とは「支え合って」生きて行かなければならない「生き物」なのだ。
お隣の若き指導者・金(キム)正恩が国際社会の反対を押し切って濃縮ウランを搭載した核実験を強行したものをテレビで観た。
これは、すなわち韓国や日本・アメリカへの意図ある挑戦と云わねばなるまい。
地域には地域のルールがあるように、国家には国家同士のルールがある。
いくら北朝鮮が「ならず者国家」だとアメリカのオバマ大統領が名指しで非難しても、国家社会のルールを無視する北朝鮮の魂胆は解かりきっているのである。
自分達の外交の切り札とする為に、核保有を国際社会に認識させようとする卑劣な手段である。
これは決して許されるべきものではない。
日本人拉致被害者問題も、国家としての正義を開示することなく、いたずらに月日を重ねて何の誠意ある回答も我が国にせず、これほど日本と云う国を軽んじた行為を私は日本人として見過ごせないのである。
拉致被害者の家族も歳月の流れと共に、加齢による体力の消耗は防ぎようもない事実なのだ。
それだけに生きている内に拉致されて居る家族に一日も早く逢わせてやりたいと云う人情が働くのである。
これは当然の事で、心ある政治家も我が心の痛みのように考えているものと思う。
特に私が好ましく思う政党のトップである安部晋三は、その思いが強い人だと認識したい。
私は、この核実験が行われるまでは、指導者の若さが北朝鮮の国益を考え国際社会のルールを見直し、もう少し大人の考え方で外交を充実させ国際社会が用意するであろうテーブルに着くと安易な気持ちで居た。
北朝鮮の国家事情は「痩せた土地」を見ると一目瞭然で、こんな痩せた土地には人の心も食物もろくに育たないのである。
食べ物が育たない土地には飢えがあり、つまりは満足に食べ物もない「お国柄」を露呈させて居るのだ。
その悪あがきが今回の核実験に現われていると私は断言したい。
外交とは、諄いようだが命を賭ける程の思いで成し遂げなければならないと云うのは、過去の歴史が証明している通りなのだ。
日本を含め諸外国は、北朝鮮が「事」を起こす毎(たび)に経済制裁だとかの決まりきった政策を打ち出し、お茶を濁して来た過去を我々国民は苦々しく見ているのである。
いい加減に国家としての腹を括り、北朝鮮との関係を何等かの方法で前進させる時が今ここに来たのではないだろうか・・・
北朝鮮が国家社会、特に我が祖国日本に何を求めて居るのか、そろそろ我々国民に道理を踏まえて説明するべきであろう。
我々シークレット・トップの一員としてはグローバルな視点で「祖国の指導者が決断した声」を待たねばならないのである。
これは落胆以外にない言葉と云わねばなるまい。
日本も国家としての指針を、そろそろ国民に説明するべき時が来たのではないか・・・
私はグローバルな組織の一員として心から、そう思うのである。
日本と云う国は、その時々に指導者が猫の目のように「任期を放棄させられ国民の信を問う」と云う愚かな大義の下(もと)に交代させられる。
こんな日本の国会制度と云うのは国民に対しての「節度の無いまやかしの政治」ではないかと最近つくづく思うのである。
有権者をいくら集めても、その有権者が自分の持論を述べるだけで、肝心な国益を述べてないのが現状ではないのかと嘆かわしい気持ちになるのだ。
私はテレビや新聞で有権者の談話を聞く度に、そう思うのである。
政治とは武家社会が行って来た過去の歴史の中から学ぶべきことがあるのではないかと時折思案に暮れる事もある。
時代に合った政治がもちろん大事だと云うのは私は何等異論はないのである。
しかし時代に合った政策を追っていたのでは急激な変化に伴なう国際情勢には、とても追い付かないのが今のニッポンの現状である。
目まぐるしく変わる政治のポストが、私にこんな嘆かわしい言葉を云わせるのである。
グローバルな規模で「関が原の合戦」が起きたら国家は野党との折衝をどうするのか。
私とて政治家の深い考えを聞きたいのである。
深さの無い底の見えた考えしか無いのであるなら、これは国民を欺く北朝鮮の政治と何等変わりはないように思うのであるが・・・
これが悲しい冗談に聞こえるであろうか・・・
私は國士としてグローバル・シークレットの一員として、いつでもJapan・lodgeの指示を待っている。
次は赤い国の脅威である「尖閣問題」を待機させたままである。
外交官がもっと表に出て、大臣と「歩」を揃えて国民の前に出て来るのが、問題を一歩でも前へ進める方法であると私には思えてならない。
どこかの党の代表が「将来の知恵に任せよう」と、赤い国の過去の指導者の発言を引っ張り出して格(かく)も名言の如き所業で論じて居たが、それも道理はあると私は思ったのである。
そこの党の副会長で顧問弁護士の福島啓充とは、平成3年に横浜の事件で世話になって以来の親しい間柄であるからだ。
しかしいくら日本が尖閣問題を棚上げにしようにも国有化となった今、そんな悠長なことは云って居られないのである。
政治とは「一進一退」しながらも、軸は前に進まなければならないのである。
金(キム)正恩に私は人生の先輩として尚、語り掛けたい。
それでは、ここで若き指導者に「私の幼馴染み」のプロフィールを紹介しよう。
側近の何人かは猪木寛至を伴なって祖国に帰国した時に逢って居る筈だ。
この男は、北朝鮮の永本(孫)壹柱か、韓国の藤田(許)永中かと云われた程の人物で、ついこの間、山口組の金庫番と云われて世間を騒がせて居た元朝鮮学校の教師だ。
私が、この男を子供の頃から見て感じるのは弱い者いじめをしない男だった。
それ位の心構えがあったから、教師になったのである。
この永本(孫)に、私は北朝鮮のイメージと共に「力道山」の姿がダブるのである。
この男は情誼にも厚く、私が1998年に「ジュリアナ東京」と云うディスコを姫路の魚町で開店した時に「白竜」と「木村一八」を連れて駆け付けてくれたのだ。
その時のスナップショットがあったので掲載しておく。
この永本(孫)は猪木寛至と共に北朝鮮に太いパイプを持って居ると、シークレット・トップからの情報で知った。
更に日本国粋会の四代目組長・工藤和義とは五分の兄弟分で、お互い「兄弟」と呼び合って居たとも聞いた。
これは(当時)双方の側近から聞いたので間違いない情報でもある。
私とは「荒らぶる獅子」のVシネマ化で疎遠になったが、よく笑う良い男だったと云う印象は今でも変わらない。
この男は、ヒューマニズムもしっかりして居り、スピリットファイトもある。
北朝鮮にとっては、愛国者の一人であろう。
この永本(孫)にも国際的観点に立ってもらい、日本と云う国に生まれた自分の身の上を理解して、むつかしくなって居る国際情勢を踏まえ「日朝友好」を猪木寛至と共に推進してもらいたいのである。
在日の芸能人の親代わりとなり、祖国北朝鮮に尽くして来た男であると云う評価は決してオーバーな表現ではないだろう。
この永本(孫)壹柱の事は、いずれ又の機会に譲りたい・・・
若き指導者よ!
私の知って居る限りのハングル語で語り掛けても国勢は変わるまい。
勢いというものが、全ての源泉であるのは、私の人生経験で理解出来ているのだ。
解かるだけに、なお切実たる想いを綴るのである。
大型ミサイル発射台を新設する動きも活発になり、設置時期が早まったと国際世論は大騒ぎしているのだ。
これ程、軍部の独走を許しても良いのかと私は嘆かずにおれないのだ。
それとも若き指導者のおおいなる決断の伴なう強行か?
朝鮮人民会議を経て、金(キム)正恩主導で決定した実験か!
私は大騒ぎする程の事ではないと思うが、それでも「将来起こる悲劇」に片目を瞑る訳には行かないのだ!
我が祖国ニッポンでは、大和心が芯に点った、国家の参議院議員が若き指導者の国を非難する決議を採決したと聞いた。
独裁者の末路は歴史が証明している通りなのだと、私は静寂たる過去の歴史を顧みるのだ。
兄の金(キム)正男も遠い異国で、この情勢を静かに眺めて居るだろう。
まさしく兄の弟を想う心とは、万国共通なのだ。
金(キム)正日が生きて居れば、息子になんと囁くであろう・・・
雨上がりの播州姫路の空は切なく暮れゆく・・・
巷に雨が降る如く、我が心にも雨が降るとは、フランスの詩人・ボードレールの詩であったか・・・ 竹垣 悟
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