私は失礼ながら敬称を略してこれまで文章を書いて来た。
文章の中に於いても「敬意」を表わさなければならないのだろうが、私の文法上、独自色で我が儘(まま)を通させてもらった。
歴史小説家の手法を継承して居ると云った方が上品であろうか・・・
還暦を過ぎた私が日本の将来を憂い、これからの若者への提言として私の生きて来た「ヤクザ道」を綴って居るのである。
私は面と向かって呼び捨てにされたら「あんたに呼び捨てにされる覚えはないぜ」と本人の目の前で云う男である。
その代わり私も本人と直接言葉を交わす場合、それなりの敬称を付けて呼ぶ。
私を「竹垣」と呼び捨てに出来る人間は、世間広しと云えども今はそうざらに居ない筈である。
それだけ私が歳を取ったと云う事だろうか・・・
私は中野会に、若頭補佐として加入した。
竹中組の直参だった者は私を含めて中野会へ9人行ったが、私1人だけが中野太郎の若中の盃を受けたのである。
兵隊の「数」も「金」も「竹中組でのポスト」も、私が一番上だったにも拘らず若中の盃を受けたのだ。
その頃の私は「ヤクザの夢として、その組の若頭になって跡目を取る事」だったからである。
他の8人は全員舎弟になった。
ヤクザ組織と云うのは、所帯が大きければ大きい程「若頭補佐」がその組織の運営を担って行く。
だから役付き以外の舎弟は会費さえ払っておけば極端な話、組織事は何もしなくて良いのである。
中野会に入って数年経って、私の率いる義竜会の「舎弟頭・乾進」外4名の私の舎弟に、中野太郎の盃を受ける様にと当時の若頭・山下重夫から話しがあった。
本人達にその旨話したところ「辞退したい」と一様に云ったのだが「山下重夫(やましげ)」は「親分(中野太郎)が云ってるので、それやったら兄弟(私のこと)から親分に云えや」と云った。
私はそれを聞き、漸(ようや)く意味が飲み込めた。
そして中野太郎の前へ行き「本人(舎弟頭・乾進)達は歳もいってるので、それやったら親分の舎弟にしてやっておくんなはれ」と云ったのである。
そしたら中野太郎は「竹垣、お前は俺の若い衆やど。そのお前の舎弟が俺の舎弟になってもええんか?」と聞く。
私は「よろしいでっせ。親分、宜しくお願い致します」と云って頭を下げた。
これは私のヤクザとしての意地でもあり、また私の率いる義竜会のレベルアップだと思ったからだ。
ヤクザとしての条理を語るなら「若中」の私(竹垣悟)の舎弟が、いきなり私の座布団を越えて舎弟に直るのは、恐らく前代未聞のことだったであろう。
私はその時そう読んだ。
読んだ上での申し出だったのである。
それだけ中野太郎が、私の実力と義竜会の層の厚さを評価してくれて居たからだ。
私もプライドのかたまりの様な男である。
竹中正久親分が生きて居れば「もし」とか「たら」の話しだが、私は「黒田官兵衛」級のさむらい大将になって居たと云う自負がある。
突き詰めて云うとヤクザも戦国武将も、持った「親方」次第で天下取りも可能なのだ。
私はヤクザの出世は「親運」次第であると思う。
余談だが、山口組も田岡一雄三代目組長を原点とするなら、田岡組長が目指したと云う幡随院長兵衛の生き様を、今一度見つめ直すべきだろう。
私は山口組が社会と共存して行く為には、山口組綱領の第一義である、侠道精神に則り国家社会に貢献することだと思う・・・
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竹村 (月曜日, 17 6月 2013 09:35)
竹垣のおじぎ、おはようございます。支部当番でお世話になりましたm(__)m ご活躍を応援しております。
いしむら (金曜日, 21 6月 2013 22:43)
竹垣会長が古川組のさかずき受ける際
中野太郎親分は 反対しなかったのですか?
たいへん失礼な質問ですが
そこがどうしてもふにおちません
竹垣 悟 (土曜日, 22 6月 2013 17:24)
いしむらさん、始めまして竹垣です。
質問ですが・・・私に直接電話を下さればと思います。
但し非通知は拒否しております。
いしむら (土曜日, 22 6月 2013 22:19)
ありがとうございます
いえ
私だけがお聞きするのは勿体ないので
差し支えない範囲で記述してほしいです
かなりの人間が疑問に感じているとおもうので
質問を呈示しました
竹垣 悟 (土曜日, 22 6月 2013 23:47)
「・・・だけは行くな」
親分の言葉とは一言の重みなんです。
私が聞けない事を云う程、野暮な親分ではなかった。
それ程、人の心が読める繊細で緻密な親分でした。
だから私は惚れたのです。