私のブログを見た人から「ええ格好を書き過ぎだよ」と云われた。
確かに、ええ格好の部分にスポットライトを当てている箇所が多いので、見る角度によってはいい格好に見えて当然だ。
その分、小心者にかかると妬まれるか男のやきもちを焼かれるかだけなのだが、私は何事もストレートな性分なので、人にどう思われようと余り気にしないようにして居る。
人の好みは十人十色だと思うからだ。
・・・歌舞伎で云うところの、大上段から大見得を切るようだが、私は刑務所で学んだ「男の作法」を自分なりに工夫しながら今日まで何とか生きて来た。
もちろん「服」も「時計」も「靴」も「車」も兎に角、何事にもこだわりを持って生きて来たのだ。
自慢話は、余り聞いて居て良い感じはしないが、今風に韓流を真似て敢て云おう・・・
時計はダイヤ巻きの(平成元年頃の定価で)1,000万円位したピアジェと皮バンドのノーマルなピアジェ、それに248万円のピンクーゴールドのロレックスデイデイト、これは私が親父と呼んで居る医学博士で哲学博士でもある中谷健二名誉院長が、私に「よう頑張ったのお」と云ってプレゼントしてくれたものだ。
外に300万円位の金無垢でオールダイヤ巻きのカルチェがあるが、これも資産一千億とも云われたホテルオクウチグループの社長がプレゼントしてくれたものだ。
それと安物だが、ダイバー用のカルチェ等を持って居る・・・
断っておくが、私は人物を含めて何事も偽物(コピー)は一切持たない主義なのだ。
それぐらい性格的に生真面目な男である。
だから、もちろん嘘つきは生理的に受け付けない・・・
私の家だが、不審者に備えて各方面に五基「監視用モニター」を設置して録画し、警報機も併用して居る。
厚さ3センチの防弾ガラスも主要な窓には全て装備して有る。
これは引越しの時、前に住んで居た部屋のを戸板1枚残らず外して持って来たからである。
人は皆、いい格好がしたいから命を賭けてまで「信用を得ようと努力」するのである。
その結果が人生の勝ち組に繋がるのだ。
こんな姿勢が「究極の夢」を実現可能にするのである。
その為に「極寒の刑務所に耐え」「極貧の生活にも打ち克ち」人に認めて貰える日が来るのをひたすら辛抱と云うボウにすがり「待つ」のが男と云うものである。
日本の首領(ドン)と呼ばれた笹川良一も児玉誉士夫も、こうして無聊に流されず時を待ったのだ。
私が竹中組に入った頃、親分・竹中正久は「人間辛抱せなあかん」と口癖の様に云って居たのは、今まで色んな場面で述べて来た・・・
その親分が一回だけ「悟よ、俺は3年間飲み屋(クラブ)にも行かず、ある程度の付き合いが出来る金を持つまでじっと辛抱して来た」と云った事がある。
私は竹中正久と云う親分の偉い所は「ここだ」と思った。
この竹中正久だが、田岡一雄組長と共に被差別部落の出身者ではない。
家庭的に恵まれず、不幸な生い立ちの中からヤクザ社会に身を投じたのである。
貧困だったが故に、極道になる者が後を絶たなかったと田岡一雄は自身の自伝で述べて居た筈である。
私はプライドがズタズタになった日から「いつか世に出て私を見限った奴を見返してやる」との一念で何事もじっと辛抱して今日まで来た。
もちろん飲み屋街へ行くのも自粛して、耐え難きに耐えて来た。
私の嫁が昭和64年(平成元年)2月28日に魚町で小さなスナックを開店して以来(途中から塩町に移転してカウンターの無いボックスが6つあったが、こじんまりとしたラウンジにして)それからは魚町の板前松びしのビルが新築になったのを機会に3階の一室を借りクラブをオープンした。
嫁は内装に凝り、店の中央を滝が流れるようにしたり、その周囲を熱帯魚が優雅に泳ぐ店にして「高級感溢れる店」を新装したのだ。
その店にも、私は現役の頃は一回も行った事がない。
私の嫁は、飲食業組合からの「暴力団お断り」と云うステッカーを店の入り口に貼って居たので、現役暴力団の私が出入りする訳には行かなかったのだ。
正直に云うと一回だけ入りかけた事がある。
その時私達が「佐伯のお父さん」と呼んでいる親しい魚町の主(ぬし)の様な人から、笑いながら「会長、この店は暴力団お断りの店やろ」と云われたので「ハッ」として店に入るのを思いとどまった事がある。
堅気になって8年近くが経つが、その間に店に行ったのは昨年「五仁會」を設立してから4~5回位付き合いで行っただけだ。
嫁の店は2~3年前からこの春まで娘がママだったので、嫁がして居た昭和の情緒を残しながら、今風の「キャバクラ」と少しオーバーな表現で云うと「銀座のクラブ」をミックスしたような店になっている。
姫路に居て、テレビドラマに出て来る銀座や六本木の雰囲気を味わって貰いたいとの趣旨で営業して居ると嫁は云うのだが・・・
現実はどうだろう・・・
でもこの店が開店した頃はテレビドラマの撮影もして、嫁もママ役として出演した事があるぐらいだ。
女の子は現在13人が在籍して居るそうだが、常時店に出て居るのは9人前後だと云って居た。
高級感溢れる店の割には料金は安く設定してあるそうだ。
私は酒も女も卒業したので、そう云う華やかな場所へは足を運ぶ機会が余りない。
これでは男として枯れて行くばかりなのだが・・・
ついでに云えば、私は酒を飲んで酔い「まさか」と思うようなチンピラにプライドがズタズタになるまでバットで不意打ちを喰らった。
それ以来、清水次郎長の故事に習い「生涯、酒は飲むまい」と決意した。
こんな事を云うと、また「ええ格好を書き過ぎだよ」と、云われそうだが何事に対してもこれが私のライフスタイルなのである。
コメントをお書きください
いしむら (火曜日, 09 7月 2013 00:40)
会長お叱りすんません
竹中の親分は戦前にご親戚が町長か村長
をなされた名家の出とききました
その時代のおさといえば 家柄能力器量
なければなれません
また暴力団は差別されるもむべなるかな
加入も脱退も自由意思なのですから
次郎 (水曜日, 10 7月 2013 23:15)
いい格好したいが為 、、、一生懸命頑張っているのですか?
執着は 己や 家族 国家までも 破壊する 魔物と 自分は思っています。
両親に 産んで頂いて 必死に育てて 頂いて
両親や 森羅万象に感謝の 気持ちを 持って生きていれば 1000円の 時計でも 光輝いて 見えて来ます。
死んだ時 執着して 手に入れた物でも
あの世には 持っていけません。
老師さん しかり 親鸞さん しかり
執着は 全てを滅ぼす 物と 煽っています。
貧しくても 関係無いと 自分は思っています。
竹垣 悟 (木曜日, 11 7月 2013 11:53)
次郎様
私の持論で恐縮ですが・・・
車はガソリンを入れなければ走りません。
腹が減って困って居る子供が居たら、メシを食わさなければなりません。
ボランティア活動の基本とは、身銭を切って社会奉仕をする事なのです。
葬式ひとつ出席するのにも、香典とかの金が要るのです。
三途の川を渡るにも「六文銭」が必要だと宗教では教えて居ます。
金は無いより有る方が良いのです。
私は人が「拘禁」され「面会に行く時」手ぶらで行かず、必ず一万円ですが「差し入れ」して帰ります。
行く度に差し入れして帰ります。
人を想う心とは「元気で頑張れよ」との一言だけではなく、物質的な裏付けが要るのです。
私は少額ですが、ユネスコにも数年前から継続して寄附を続けて居ります。
東日本大震災の時も「日本鳩レース協会」を通じて会員の中ではイの一番に義援金を送りました。
断っておきますが私は物欲のない男として、知る人ぞ知る存在です。
その分、嫁は商才に長けていますが・・・
極論ですが、いざと云う時「金」が自分や家族の不幸、否(いや)国難さえも救ってくれるのです。
次郎さんの云う事も御尤もだと思います。
私も貧乏人時代が長かったので、至極同感です。
だから金の有難味が解るのです。
次郎 (木曜日, 11 7月 2013 19:24)
竹垣様 早速お返答 有難うございます。
各々 出来る範囲で 善意を示したら 良いのではと 自分は 感じています。
しかし 私は 良いカッコの為には 動きません。
面会に 行く場面が 自分にもありました。
私は 軽トラックで 片道約400キロ走破して
激励の一つを 出来る範囲でやろうと
お金も無いのに 行きました。
差し入れ額は たったの3000円です。
でも 物凄く喜んで頂きました。
しかしながら 人の心を 裏切るはんざいを したのならば 行ってはいないでしょう。
本人の 為ならば 私は 鬼にもなりますし イジメている 奴が 自分を 慕ってくれる かわいい奴でも あえて 私の事が
嫌いになる程 どやしつけるでしょう。
小さな 善行でも 自分の良心は 何時もみています。
あえて 言いますと お金があっても
今の日中韓の 関係は よくならないでしょう。
やはり ボランティア等の 見えない 良心こそが 巡り巡って 最後に
この国を 救うと 信じています。
良心 善行が あっての お金だと 信じております。
竹垣悟様の ファンである私は
いつも 竹垣様を 影ながら応援しています。
竹垣 悟 (木曜日, 11 7月 2013 21:12)
次郎さんの云われる事は尤もな事だと思います。
私の今回の「テーマ」は極論すぎたかも知れません。
私も枝の葉っぱから極道をして来て、自分なりに下積みの苦労はして来たつもりです。
だから「ピン」の苦労も「キリ」の努力も、私なりに理解して居るつもりです。
つい、極道時代の名残りが出てしまい恥ずかしい限りです。
「良心・善行」があってのお金だと私も思います。
今後も色々御教授下さい。
実のある舌鋒に心が弾みます。
たろう (金曜日, 12 7月 2013 01:11)
竹垣様 相手を自分の言葉で納得してもらい、相手に敬意を払い持論を分かりやすく自分の信念を相手に嫌な気持ちさせず伝える、喧嘩ごしにならず相手に確実に伝える、そして自分が言い過ぎた時、相手に響く言葉で釈明する、そして最後は、竹垣様に感銘を受ける。コメント一つで私は感じました、すごく感じました 本当にいい。本当良かったです 素晴らしいです、今後のご活躍祈ってます、、。
竹垣 悟 (金曜日, 12 7月 2013 02:12)
たろう様
お褒めに頂き恐縮です。
私の拙い文章で、竹垣悟と云う人間を知って頂け光栄です。
今後も私なりに奮闘努力して、私の目指す社会正義を行なってみたいと思います。
そして一人でも多くの人に認めて貰える人間になれるように頑張りたいと思います。
また色んな意見を聞かせて下さい。
たろう様の意見を、次郎様の意見同様拝聴するのが楽しみになって来ました。
私もお二人の意見に付いて行ける様に、これからもまだまだ勉強して行きたいと思います。
未熟な私ですが、今後とも御指導・御鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
次郎 (金曜日, 12 7月 2013 20:28)
竹垣様 誠意のある 対応には
頭が上がりません。
嬉しい限りです!。
竹垣様の ブログを 読んでいますと
魂に 響くのでしょうね。
私は まだまだ 言葉足らずの
若輩者の未熟者です。
私の 書いた コメントも 余り気になさらないで下さいね。
竹垣様は 竹垣様の 想いを これまで通り 表現なされて下さい。
しかしながら 竹垣様の ファンである
故に そっと コメントさせて頂きたいです。
少しずつでも 自分の 心にある
良心を 大きくして行って
優しく 暖かく 大きく
この国 この街を 包んで 行きたいデスね。
また たろう様 若輩者の未熟者の
私ですが これからも
宜しくお願い致します。