侠客待望論

写真はNHK大河ドラマ 軍師・官兵衛が放映された5日の昼間に、嫁と娘の子の一花(中央)を連れて姫路城へ、ほか弁を持って行った時の一葉である。
写真はNHK大河ドラマ 軍師・官兵衛が放映された5日の昼間に、嫁と娘の子の一花(中央)を連れて姫路城へ、ほか弁を持って行った時の一葉である。

 世の中と云うものはファッションの世界と同じで、それなりに慎重を期して設計図を書けば、その設計図に沿って動いて行くと云うが、そうなのだろうか・・・

 

 人は何をするにも悪名を晒さなければならない場面が来ると云うが、どうなんだろう・・・

 

 私は最近、田岡一雄が三代目を襲名した時、侠客の祖と云われる幡随院長兵衛のような風格のある親分を目指したと自伝に書いて居た箇所が、ずっと頭の奥から離れないのである。

 

 竹中正久・四代目組長も田岡一雄の心奉者だったので、もちろん幡随院長兵衛を目指していたと私は思っている。

 

 古い話しで恐縮だが、サンデー毎日の取材班のインタビューに男の生き様について「そりゃ一言で云うたら、男で死にたいよ」と答えているからだ。

 

 私は歴代の山口組々長で、死に際に「男で死んだ」と云えるのは、竹中正久ただひとりだけだと思って居る・・・

 

 一和会の刺客が放った銃弾に素手で立ち向かって、若くして志し半ばで死んだ。

 

 この時の竹中正久の気魄と云うのは、常人の域を遥かに超えていたと聞く。

 

 私はこんな男の中の男に気に入られ、時間を共有出来た事は天運であり、この竹中正久や田岡一雄の侠客魂を今の世に甦えさせるのが、私の天命だと思っている。

 

 田岡一雄も竹中正久も、私に云わせれば清水次郎長や国定忠治、それに大前田英五郎と比べても決して引けを取らない侠客だからである。

 

 その証拠に田岡一雄に至っては、神戸水上警察署の一日署長までしているのだ。

 

 ヤクザがヤクザらしくあった時代は、喧嘩をして人を殺しても、お上が出頭要請をしたら犯人を出頭させていた。

 ヤクザとしての大義の中で、人を殺していたからだ。

 それが、いつの頃か事件を起こしても自ら出頭すると云うのが無くなった。

 

 バブル時代の到来と共に、それだけ義侠心に富んだ筋金入りの極道が少なくなって行ったのであろう・・・

 

 筋を通して居たら商売根性が引っ込み、今頃はきっと侠客だらけの良い世の中になって居たと思う。

 

 義と云う言葉が金を受け取った瞬間に商(あきない)と云う言葉に化けてしまうのである。

 そう云う金の重みに沈むヤクザが時代と共に多くなって、現在の無味無臭の時代が到来したのだ。

 

 これは嘆かわしい事ではないか・・・

 

 男気と云うのは、この物事をしたら損をすると分かって居ても敢えて、その損を承知ですることなのだが、そんなむかし気質(かたぎ)のヤクザがめっきり減った。

 

 ソロバン片手に仁侠を語るようでは、弱者救済と云う行為は不可能なことなのだ。

 

 ・・・暴力団が侠客になると云うのは、むかしの東映映画で云えば高倉健が悪いヤクザにイジメられても、じっと耐えて最後は辛抱しきれなくなり、男の怒りを爆発させて相手の悪役に殴り込むと云うのが定番になっていた。

 

 男が頭に来て、すぐその怒りを爆発させていたのでは、男としての悩みも苦しみもなく、また辛抱と云う字も、みすぼらしくなって来る。

 

 本当の男と云うのは、何事にも辛抱に辛抱を重ねて最後はその辛抱の糸が切れ、男の意地を通して死んで行くものだ。

 

 しかし今はどうだろう・・・

 

 自分の気分のおもむくままにテンションを上げ、自分の感じたままの感情を表に出す。

 これでは一人前の良い男が育たないのだ。

 

 一人前の苦労を知った、人の心の痛みの分かる男を育てて行くには、人の上に立つ者みずからが背中を見せて、若い者に男としての生き様を教えて行かなければならないのである。

 

 そこら辺の事を考えながら、青少年育成にも力を注いで行かなければならないと思うのだが・・・

 

 そう云う意味も含めて私は、この春先・姫路城の桜の花が咲く頃にはNPOの事業所を立ち上げて相談員を置き、いよいよ社会貢献事業を始めようと計画している。

 

 その時は、ひっそりと事務所開きをするので協力の程、宜しくお願い申し上げる次第である。