私は御存知のように、反暴力団を旗印に掲げている訳ではない。
しかし、親暴力団を標榜する訳でもない。
ただ単に「暴力団は侠客になれ」と云って居るだけだ。
だってそうだろう・・・
世の中に「男の中の男」が、ひとりでも多く居れば、世間がより楽しくなるではないか・・・
・・・私の目指す五仁會は まさしくそれで、世の中の底辺で明るい未来を見つめることだ。
これは田岡一雄という昭和の大侠客の研究をしてみて、やっと漕ぎ着けた答えでもある。
・・・田岡一雄は、不幸な生い立ちの中から人情の機敏に触れ、ヤクザ社会に腰を下ろした。
そして自らの経験から、不幸な生い立ちがヤクザ社会へ走らせる原動力になることを知った・・・
こんな田岡一雄の人間観察力が、こんにちの暴力団社会の基を構成したのである。
もちろんこれが、田岡一雄の背中を見て育った三代目山口組々員の原点となっていた。
これは否めない事実だろう・・・
私が極道としてデビューした頃は、義理と人情が巷に溢れていた。
その頃は、世の中の片隅を少しだけ探せば男気があり、ヤクザ社会の倫理を教えて来たからだ。
ところが今はどうだろう・・・
ヤクザ社会に颯爽とした話しが無いのである。
どの週刊誌を見てもヤクザの大同団結だとか、平和共存を推し進める「平和外交」ばかりを特集のような感じで書いている。
ヤクザから牙を取り、政治力ばかりがクローズアップされるようでは、今どきの政治家と何等変わりなく、その時点で最早ヤクザでは無い・・・
・・・大阪戦争で大日本正義団会長・吉田芳弘射殺事件の指揮を執った初代古川組若頭・入江秀雄(大阪戦争当時は佐々木組)は、ヤクザ組織において「仲良しクラブは要らんねん」と常に古川組幹部会で云っていた。
だから私と入江秀雄とは、幹部会でよく激論を交わした。
二人の会話を聞いて、一極会(許永中が創設した組織)会長・中村政義は「頭(入江秀雄)と兄弟(私)との話しは幹部会やのうて喧嘩でんがな」と真剣な顔をして云っていた。
それぐらい初代古川組本部事務所で、入江秀雄が射殺されるまでの幹部会は、白熱していたのである。
話しが逸れた・・・
本来のヤクザ気質とは、一旦緩急あればドカーンと激突し、最終的に力で決着をつけて来た。
しかし今は六年間抗争ゼロと、如何にも平和共存策が実を結んだかのような記事が週刊誌の活字に溢れる・・・
堅気の人間は、ヤクザ社会の平和共存など誰も望んでいないのだ。
ヤクザ社会を戦う「男の集団」と捉えるならボクシングと同じで、どちらかがノックアウトされるまで戦うのが男の花道だと思うからだ。
社会の裏街道を生きて行くなら、それなりに凶気も必要だし、それによって懲役に落ちるのもまた、暴力団社会に生きる者の運命(さだめ)なのだ。
私は現役時代そうやって極道をして来た。
ヤクザをしていて懲役に行くのが怖いと思ったら、迷わず堅気になることだ。
30年とは云わないが、5年や10年の懲役に行くのが厭(いや)なら、潔くヤクザ社会と決別することだ。
ヤクザから抗争事件という男社会の「大義」を取ったら一体何が残るのか・・・
・・・私はヤクザ社会から8年前に破門状が出て、天下御免の堅気になった。
そして、運良く暴力団更生センターの出先機関のような団体として国から認可を受けた。
結果、暴力団員と犯罪者の自立更生支援を生涯のライフワークとして現在に至るのである。
我が国に結社の自由がある限り、暴力団がこの世から無くならないのは自明の理なのだ。
日本の国というのは、伝統の上に成り立っている。
その伝統の中に、義理や人情の世界に通じる男伊達というものがある。
だから私如き拙い男でも、国家公認の世直し活動が推進出来るのだ。
我々五仁會の活動が、やがてはアウトロー社会に生きて来た人間の道しるべになれば、私の本懐とするところである。
余談だが・・・
現在の暴力団社会も暴力性が否定され、金の重みで人が動くような時代に変遷して来た。
人の心より、現ナマが物を云う時代になった。
なんと世知辛い世の中になったものだ。
結果的にこれも、暴力団社会の拝金主義が招いた結果なのだ。
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谷口雅和 (土曜日, 10 12月 2016 05:33)
コメントを読み物、共感致しましさた。
福原恵巳を侠にいたします。
竹中正則 (木曜日, 28 11月 2019 09:22)
抗争始まりましたよ!