
壮絶なヤクザ人生・拳銃自殺で完遂・散り際の美学
暴力団更生研究家としての視点から
岡山県美作市湯郷の福井医院で7月9日午前9時過ぎ、元山健組内邦楽会(福原辰広会長)若頭だった吉岡進53歳・姫路市東今宿在住が、拳銃を持ち立てこもった。
そして4時間後の午後1時5分頃、2階の病室で自身の右こめかみ付近を拳銃で撃ち、間もなく死亡した。
姫路署に逮捕されていた中国人経営の個室マッサージ店から、毎月10万円のみかじめ料を取っていたとして警察が逮捕状を取り、任意同行を求めていた矢先だった。
罪名は、組織犯罪処罰法違反だ。
当初は「わかりました」と捜査員に従う素振りを見せたそうだが、その後突然拳銃をロッカーから取り出し立てこもった。
そして捜査員に向って「ヤクザ稼業に嫌気が差した」「捕まるなら死んでやる」と主張して、病室のベッドの上で拳銃自殺を図ったようだ。
私が独自に裏を取って調べていくと、吉岡容疑者は過去に覚醒剤の常用者であることが判明した。
その為に金も無くなり、健康状態の悪化もあり、邦楽会を出て堅気になったと云う・・・
拳銃というのは、覚醒剤とセットで所持している場合が多い。
ヒットマンになる男というのは、大げさに云えば覚醒剤を打ち、緊張感を持続して相手標的を狙うのである。
教唆でパクられるのは、逆に沈着冷静に指示を出す「親方」に忠実な人間が多い。
出会い頭の喧嘩は誰にでも出来るが、長い月日をかけて相手を狙うというのは、相当の臨場感がなければならない。
でないと途中で挫折してしまう。
ヒットマンの心理を長年研究して来た私にとっては、今回の事件でヤクザ社会の実情がより深く見えて来た。
吉岡容疑者の所属していた邦楽会・福原辰広会長は、四代目山健組では若頭補佐を歴任後、健康状態の不安もあり現在舎弟に直っている。
資金力は姫路随一と云われ、堅気にも人気があり、実質この邦楽会が姫路の裏社会を支配しているといっても過言ではないだろう。
会長の福原は、山一抗争で「ジギリ」を賭けた男であり、強力な資金力をバックに一代で財を成した。
私の兄弟分だった「深山宏光」の舎弟だった男だ。
この深山は何を隠そう私の舎弟になり、私が率いた義竜会の若頭になることに決まっていた。
当時、深山は九州で燻(くす)ぶって居たのだが、私が姫路へ帰れるように骨を折った。
その話しの中で、私が懲役に行く間は辛抱して私の帰りを待つように、と云っていたのだ。
しかし深山は、私が懲役から帰る8ヵ月が待てなかった。
結果、人を介して中野会の吉野和利に接触した。
そして中野太郎につながったのだが、中野太郎は筋道として、元の山健組に帰るようにと云ったそうだ。
結論として深山は山健組系列に復帰した。
これで私と深山の縁は切れた。
・・・平成5年頃の話しである。
この深山宏光の若い頃の兄弟分に、六代目山口組舎弟の寺岡修が居る。
深山は、それぐらい器量のある姫路のヤクザ界ではスーパースターだったのだ。
私が極道をしてから切磋琢磨したのが、この深山宏光であり、水原修(通称・文太)だった。
因みに私が今まで色んなやくざを見て来て、好き・嫌いは別にして、昭和20年生まれ以降で一番しっかりしていたと思うのは、初代古川組若頭をしていた入江秀雄だ。
この入江も同じ古川組の若い者に射殺された。
三代目山口組時代、入江とコンビを組み、大阪戦争で活躍したのが片岡昭生だ。
人間の運・不運というのは、どこから来るか分からない。
私は出来れば片岡昭生の残りの人生に、大きな光りが差し込むことを祈っている。
お互い山口組時代、ヒットマンの切なさを身を以て知る者同士だからだ。 合掌
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