俺が生きて行く上で、大切にしている言葉は何かと問われたので今回は「一期一会」だと答えた。
俺は人と付き合うのに打算的な考えはしない。
もちろん「一期一会」が基本なので、今日相手に施しをしても、その見返りを求める訳ではない。
だから俺の考えは或る面「一宿一飯」を大事にした昔気質(かたぎ)の考え方だ。
俺は自慢じゃないが、人の風下に立って付き合いをした事がない。
そういう面では俺に限って、人にナメられる事はないと思う・・・
俺はこの通り固い男なので、身上を潰してまでの遊びは出来ないが、お互いが五分に付き合えるように細長く金は使っているつもりだ。
竹中正久と云う親分は俺と同じように固い男だったが、どんな場合でも3回に1回は、伝票を握れと若い者に教えて来た。
俺は人から代表とか会長と呼ばれる立位置に居る人間なので、少なくとも2回に1回は伝票を握る事にしている。
だから「一期一会」で終わっても、義理を噛んだままという事が先ずない。
この考えに至ったのは、俺の人生の師匠である医学博士で哲学博士の中谷健二(著書に町医者 産ちゃんの自伝・赤ひげをめざして 上・下巻がある)が「さと坊(俺のことである)長い付き合いをしようと思ったら、割かんが一番ええんやで」と云うので、中谷の親父の言葉を生涯の教えだと思い、これを実践している。
義理と云う字を考えれば、俺はこの付き合い方に変えて良かったと思っている。
今回、俺が作田明賞を受賞したことで、色んな人から祝儀が届いた。
やくざの親分時代なら、全額そのまま頂いているが、堅気になったので貰った分の半額は「内祝」としてヤマトヤシキの「商品券」でお返しをした。
やくざ時代と堅気になった今の俺の姿勢の違いを、目を掛けてくれる人に見てもらうのも大切な事だと思ったからだ。
・・・いい格好を云うが、30万円の祝儀を貰った人には20万円を現金で返した。
今度その人に何かの祝事があり30万円の金を包むのが、しんどくなる時が必ず来ると思うからだ。
人間には身分相応というものがある。
暴力団組長時代ならパッと散財して景気良く振舞うのが格好いいと思ったが、あぶく銭で生きているのではないので止めた。
実直に生きて行こうと思えば尚更だ。
俺は始末しながらでも細く長く人と付き合いして、お互いの良い面を見つめて行けたらと思っている。
ここで話しを変える・・・
もうすぐ国士 野村秋介先生の群青忌・墓前祭があると思うが、俺はその日、姫路の空の下で合掌するつもりだ。
蜷川正大代表には、俺が作田明賞を受賞したことをブログに綴って頂き、深く感謝している。
お互い日本の国体を護持し、国家安泰・悠久大義を願う気持ちは同じなので、心強い同志を得た思いだ。
一水会の木村三浩代表もハガキをくれていたが、有り難いことである。
週刊実話の岡林敬太氏も最近では気持ちの良い若者で、この人は将来名のあるジャーナリストになると俺は確信している。
男と男の約束を守ると云うのは当たり前のことだが、この当たり前のことがマスコミの世界では編集会議で没になってしまうことが多い。
それだけに、岡林敬太氏の男気が今回は俺の心に深く残った。
・・・週刊実話の記事でおれのメンツは立った。
これで少しは冥土にいる作田明先生に恩返しが出来たと思う。
諄いようだが、俺はこの号の発行部数が伸びるように応援した。
結果、姫路では売切れ店が続出した筈だ。
だから今回、余談は無しにする。
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