2014年9月17日付の産経新聞・第2面に「暴力団を壊滅するべし」との「主張」が書かれていた。
これは産経新聞としては異例のことで、暴力団排除の気運を国家の計略として捉えた証拠であろう。
見出しには「工藤會頂上作戦・壊滅目指し民間人を守れ」と、エキサイティングな文字が並んでいた。
工藤會は特定危険指定暴力団に認定されているだけあって、現在まで日本の社会に根付いていたやくざとは少し毛色が違うようだ。
少なくても堅気に銃口を向け殺傷して来たなら、これは紛れもなくアメリカの暗黒時代に名を轟かせたマフィアの手口そのものだ。
国民も皆、そう感じ始めたはずだ。
この行為は、日本古来より続く侠道精神を無視した行動と云えよう。
そこで話しを前に進める・・・
バブル経済が崩壊後、世の中全体が不景気になり、堅気の社会も利権が絡めばその利権を暴力団に渡したくないという人間が現れて来た。
それでもまだ暴排条例が全国一斉に施行されるまでは良かった。
施工後、官民あげての暴力団追放運動になったが、これは国家の方針なので仕方ないだろう。
しかし警視庁の意向が遠く離れた九州まで及ばなかった。
だから工藤會は、組織の暴走を止められなかったのだ。
どちらになっても利権が絡まなければ、ここまで行き過ぎた事態にはなっていなかったと思う。
俺が現役の暴力団組長なら、工藤會と同じようにこの問題は避けて通れなかっただろう。
でも俺の考えは、堅気に人気があってこそ暴力団組織も存在出来るとの考えに至るのだ。
これを忘れては世論の支持は得られない。
工藤會に射殺された組合長は、組合員やその家族の利権を守りたかったのだろう・・・
利権に絡む金というのは人を魔物にする。
その利権の継承者となった弟も、結局射殺されたのだから皮肉と云えば皮肉なことだ。
覚醒剤厳禁の組なら、ここまで過激なことはしないと思う。
いくら組の為になる事件を起こしても覚醒剤が絡めば、その事件自体 狂人の犯行となるからだ。
だから実行犯と共に、その親方も責任を問われかねない。
そうなって困るのはトップである。
やくざがマフィア化した時点で、侠客にはなれない。
それが今の俺には残念だ。
むかしの九州には吉田磯吉を始め色んな親方衆がひしめき合い、絵になる男が溢れていたのだが、社会環境がそんな男気を消してしまったのかも知れない。
覚醒剤というのは、人の理性を麻痺させる。
俺も若い頃 通って来た道なので、打った時の心理や行動は手に取るように解かるのだ。
これから特定危険指定暴力団を、どうするかで世論は沸騰するだろう・・・
暴力団を擁護してメシの種にしているジャーナリストも居れば、日本ペンクラブのように暴力団追放に舵を切り替えた団体もある。
俺は暴力団は侠客になれと云い続けて来たので、そのスタンスは今でも変わらない。
侠客とは私利私欲を捨て、ボランティア精神旺盛になることを云うのだ。
余談だが、覚醒剤をシノギにしている暴力団に侠客になれと云っても無理なのはよく分かる。
そんな薬局暴力団は壊滅させるに限る。
これは三代目・田岡一雄組長が肝入りで設立した、麻薬追放国土浄化同盟の主旨でもある。
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