昭和天皇と初代姫路市長・石見元秀

写真は戦災状況を昭和天皇に説明する石見元秀・昭和23年6月 姫路公会堂バルコニーにて・・・
写真は戦災状況を昭和天皇に説明する石見元秀・昭和23年6月 姫路公会堂バルコニーにて・・・

 安倍政権になってからでも景気は良くならないと、有権者がテレビのインタヴューで答えていた。

 確かに俺もそう思う。

  

 しかし アベノミクスが展開される二年前までは、景気の先行きすら読めず 世の中全体が暗澹(あんたん)たる気分だった。

 

 一国の長たる者は、国民に信頼される「一徹さ」がなければならない。

 平沼赳夫のように「是は是・非は非」で臨む政治家が 混迷の時代には必要なのである。

 

 ・・・中国に或る党の議員が大挙して押し掛けて、その結果どうなったのか?

 今までの日本の慣例を打ち破って、中国の要人を「天皇陛下」に無理矢理会わせた。

 これでは「国賊」と云われても仕方ないだろう。

 

 ・・・結果 中国が力を付け「尖閣」問題では 日本の領域を 自国(中国)の領域だと主張し、次から次へと我が国に「難癖」を付けてくる。

 

 或る党の中国追従主義によって 中国本土の経済はバブル期に達し、国民の生活は 極端な話しだが「日本国民」の生活より豊かになった。

 結果的に中国という国を豊かにする政治を 或る党は推し進めて行ったのだ。

 

 これでは国民の信頼を取り戻せる筈がない。

 

 姫路という街は、国宝姫路城のお膝元だけあって 保守的な「伝統を守る」という風習が強い。

  

 第二次世界大戦後、姫路は俺の叔父「石見元秀市長」に率いられて 道路が拡張され、姫路城はもちろんのこと 手柄山に「大戦」で犠牲になった全国戦災慰霊塔を造った。

 

 そして そこを姫路のシンボルのひとつにした。

 兎に角 国の予算を沢山引っ張って来て 姫路の街は画期的発展を遂げて来た。

 

 むかし話しで恐縮する・・・