血と掟・竹垣悟談義

 俺は名の知れた元暴力団組長としては、異形の経歴を持つ男だが、歳の所為もあり むかしのサムライのように 人生の手終(てじま)いを考えている。

 

 こんな俺が、世の中の闇を「ペンの力」で照らそうと思ったのは、俺の体に流れる大和魂の熱さゆえだ。

 

 若い頃読んだ、佐賀藩士・山本常朝口伝「葉隠」の中で「武士道とは 死ぬ事と見つけたり」という一節が、歳を重ねる毎に 俺の脳裏を掠める。

 俺は 嘘のつけない男なので、講釈師のように 次から次へと「物語り」を語って行く能力は無い。

 だが 事実有ったことを、こうして原稿用紙に書く事は出来る。

 俺は ずっと日記を続けて来たからだ。

 

 思い起こせば 俺が極道社会から訣別したのは掟破りの「破門状」が、命を賭けて来た 菱の代紋の下、回ったからだ。

 暴力団当時 俺は「道はひとつ」だと信じていた。

 だから途中で暴力団から抜けるのは、その道でケツを割る事だと蔑んでいた。

 しかし世の中は良く出来たもので、男一匹で生きて行くと決めたら 上納金が要る代紋なんか無用のものだと悟った。

  

 こんな俺が過去を悔い改め、新たな人生を歩み出してから 世の中全体が少しづつ変化して行った。

 これは インターネットの普及により、社会の隅々まで色んな人の声が浸透するようになったからだ。

 それに 俺のように世の中のカラクリを解説出来る人間が現れた事も要因のひとつだ。

 

 週刊朝日に「反骨の人・菅原文太」という連載が始まったが、この文章を読んでいると 菅原文太の反骨精神は 野村秋介師との出会いから顕著になって来たと思う・・・

 

 野村秋介師のことは、二十一世紀書院・蜷川正大代表のブログ「白雲去来」を見れば良く分かる筈だ。

 

 俺は保守系の血を受け継いで来たので、もちろん「国家安泰」「悠久大義」が身上だ。

 ニッポンの国が70年間平和で来れたのは、アメリカの軍事力に護られてのことだと思う・・・

 そのアメリカを裏切るようなシフトで民主党・鳩山政権が誕生した。

 結果、沖縄基地問題で 真面目な人が迷走した。

 俺の云いたい事は この点だ。

 国益と云うのは 国の害を取り除くことを指すのだが・・・

 

 話しを変える。

 俺のような 無償でボランティア活動をしている元暴力団組長が居るのも、世の中の声援があってのものだ。

 

 今年は「温故知新」と云う言葉が爽やかに俺の心を打つ。

 先細りした団塊の世代の残された寿命を考えると、この言葉が何とも云えない風情を醸し出す・・・

 昭和の時代、天下と云うのが 広く大きい世界だった。

 そんな誰もが輝いていた時代への回帰論が出て来ても 何ら不思議ではない。

 それを率先して、山口組の当代が行なうと云うのだから 大したものだ。

 

 出来る事なら俺も、お年寄りの苦労があって現代社会がある事を「パノラマ」のように甦らせたい。

 そして青春時代に出来なかった社会貢献を 極道社会も、健康が続く限り して欲しいのだ。

 

 生活保護を受けて居る者でも出来るボランティア活動は一杯ある筈だ。

  

 暴力団が侠客になった時、ニッポンの国も「温故知新」が実現する。

 今がまさに その時だ。

 

 ・・・俺が現役の頃、ヤクザと云うのは 血を流してなんぼの世界だった。

 云わば「血と掟」に縛られて来たのだ。

 

 余談だが、法改正により 懲役の年数が最高30年になり、殺人の時効も撤廃された。

 一度 暴力団が事件を起こすと、組織犯罪処罰法違反が適用される。 

 ようやく その道理が、暴力団組織のトップクラスに理解出来るようになった。

  

 そんな事を考えている俺の所へ 山口組の直参が逮捕されている時、そこの幹部クラスの若い衆から電話があった。

 話しを聞いてみると、親方が留守の間に 堅気になりたいと云うのである。

 俺も男を売る活動をしている。

 だから、そんな義理の悪い事の相談には乗れないと断った。

 俺は 暴力団は侠客になれと云っているからだ。

コメント: 1
  • #1

    広能昌三 (木曜日, 12 3月 2015 01:17)

    儂は、安藤昇のファンじゃが竹垣代表には
    血と掟という言葉は似合わんと思う。
    代表は代表らしく、現代社会が求める
    ボランティア精神を発揚して、世の中に
    役立つ活動をするのが一番お似合いじゃ。
    もう代表は堅気なんじゃけ。
    儂は、こう思うとります。